真面目に勉強して、真面目に考えて、
「ちゃんとやること」を積み重ねてきたはずなのに、
なぜか報われている実感が持てない。
そんな違和感を抱えたまま、
ここにたどり着いた人もいるかもしれません。
学生の頃から、
言われたことをきちんとこなし、
正解とされる道を外れないように選び続けてきた。
それなのに社会に出てみると、
声の大きさやノリの良さ、勢いのある人が評価され、
真面目に考える人ほど立ち止まってしまう。
「自分の努力が足りないのだろうか」
「もっと要領よくならないといけないのだろうか」
そんなふうに、自分を責めたことがあるなら、
それはあなただけではありません。
私はずっと、
真面目な人が報われにくいこの構造に、強い違和感を持ってきました。
真面目さそのものが問題なのではなく、
真面目さが活きる設計が用意されていないだけなのに、
いつの間にか「向いていない」「才能がない」という言葉で片付けられてしまう。
それは、おかしい。
真面目に考えてきた人こそ、
本来はもっと納得して、前に進めるはずだと思っています。
この記事では、
私がなぜ「正解」ではなく「納得解」を仕事の軸にするようになったのか、
そしてなぜ真面目さんこそ、報われるべきだと考えているのかを、
できるだけ正直に整理していきます。
答えを押し付けるつもりはありません。
ただ、もし今あなたが
「このままでいいのか」と立ち止まっているなら、
ここが一度、考えるための場所になれば嬉しいです。
真面目に生きてきた人が、報われにくい現実
評価されやすいのは「声の大きさ」と「ノリの良さ」
社会に出てから、多くの人が一度は感じる違和感があります。
それは、何が評価され、何が評価されにくいのかという現実です。
会議で発言が多い人、
場の空気を明るくする人、
多少雑でも勢いで物事を進められる人。
そうしたタイプが、能力以上に評価されていく場面を見てきた人も多いでしょう。
一方で、
- 事前にしっかり考える
- 裏取りをする
- 責任を持って判断しようとする
そんな真面目な姿勢は、
「慎重すぎる」「遅い」「要領が悪い」と
マイナスに受け取られてしまうことがあります。
これは、個人の善し悪しの問題ではありません。
評価されやすい行動様式が、最初から決まっているだけです。
真面目な人の強みは、短期では見えにくい
真面目な人の強みは、
短期間では成果として見えにくいものが多いです。
- 失敗を繰り返さないように考える力
- 一度決めたことを投げ出さない継続力
- 他人の信頼を裏切らない責任感
これらは、本来とても価値のある資質です。
ただし共通しているのは、
時間をかけて初めて効いてくるという点です。
短期的な成果や派手な成功が求められる場では、
どうしても後回しにされてしまう。
結果として、真面目な人ほど
「自分は成果を出せていない」と感じやすくなります。
「真面目=要領が悪い」という誤解
ここで一つ、はっきりさせておきたいことがあります。
真面目な人が報われにくいのは、
能力が低いからでも、努力が足りないからでもありません。
問題なのは、
「真面目さ」が評価される前提で
設計されていない土俵に立たされていることです。
スピード重視の場で、慎重さは不利になります。
声の大きさが価値になる場で、思慮深さは目立ちません。
それなのに、
「うまくいかない理由」を
個人の性格や才能のせいにしてしまう。
この構造そのものが、
真面目な人を消耗させていると私は感じています。
それでも私は、真面目な人こそ成功すべきだと思っている
真面目な人は「考えること」を放棄しない
真面目な人の特徴は、
言われたことをそのまま受け取らないところにあります。
「本当にこれでいいのか」
「他に選択肢はないのか」
「自分は何を引き受けようとしているのか」
そうした問いを、
無意識のうちに自分に投げかけている人が多い。
これは一見すると遠回りに見えます。
決断が遅い、動きが鈍い、と言われることもあるでしょう。
けれど私は、
この「考える姿勢」こそが、最も価値のある資質の一つだと思っています。
考えることをやめない人は、
一時的に遅れても、
自分の選択に納得しながら前に進むことができます。
それは、簡単に折れない強さでもあります。
真面目さは、長期的な信頼を生む資質
真面目な人は、
短期的な成果よりも、
「続けられるかどうか」を自然と考えます。
- 無理な約束をしない
- できないことを誤魔化さない
- 小さな違和感を放置しない
こうした態度は、
派手さはありませんが、
時間が経つほどに信頼として積み上がっていきます。
本来、
仕事やビジネスは長く続くものです。
その中で、
一貫した姿勢を保てる人の価値は、
決して低くありません。
それにもかかわらず、
短期的な結果だけで評価される場面が多いと、
真面目な人ほど
「自分は向いていないのではないか」と
感じてしまいます。
問題は能力ではなく、選ばされてきた「土俵」
ここまでの話をまとめると、
私が感じている問題はとてもシンプルです。
真面目な人が報われにくいのは、
能力や努力の問題ではありません。
合わない土俵に立たされてきただけです。
- ノリの良さが正義になる場所
- 早く決めた人が勝ちになる環境
- 疑問を持つことが面倒だとされる空気
そうした場で苦しくなるのは、
真面目さが欠点だからではなく、
評価軸が合っていないからです。
だから私は、
「もっと要領よくなれ」と言いたくありません。
真面目さを捨てる必要はない。
土俵を選び直せばいいと思っています。
「正解をなぞる生き方」に感じていた違和感
勉強すれば報われる、はずだった
学生の頃から、
「ちゃんとやれば大丈夫だ」と言われてきました。
勉強をして、
良い成績を取り、
できるだけ安定した道を選ぶ。
その延長線上に、
安心できる将来があるのだと、
どこかで信じていたように思います。
実際、
大きく道を外れたわけではありません。
努力してきたことが無意味だったとも思っていません。
それでも、
心の奥に残り続ける違和感がありました。
「これでいいはずなのに」
「間違っていないはずなのに」
そう思えば思うほど、
なぜか気持ちは軽くならなかったのです。
正解を選び続けるほど、苦しくなっていった
振り返ってみると、
私はずっと「正解」を選ぼうとしていました。
失敗しないように。
遠回りしないように。
後悔しないように。
けれどその選択は、
本当に自分で選んだものだったのかと聞かれると、
少し言葉に詰まります。
「こうするべき」
「これが無難」
「この道が正しい」
そう言われてきた選択肢の中から、
一番マシそうなものを選んでいただけだった。
そんな感覚が、
後からじわじわと浮かび上がってきました。
正解を外さないことに必死になるほど、
自分の感覚や違和感を、
後回しにしていたのかもしれません。
誰かの正解では、自分の人生を引き受けられない
ある時、
ふとこんなことを考えました。
もしこの選択の先で苦しくなったとき、
その責任は誰が引き受けるのだろう、と。
正解を勧めた人でしょうか。
一般論を信じた社会でしょうか。
それとも、
結局は自分なのでしょうか。
どれだけ「正しい」と言われた選択でも、
その結果を生きるのは自分しかいません。
そう考えたとき、
他人の正解をなぞるだけでは、
自分の人生を引き受けたことにはならない、
と強く感じました。
この違和感が、
後に「納得解」という考え方につながっていきます。
「納得解」という考え方にたどり着くまで
正解があることと、納得できることは別だった
「正解を選んできたはずなのに、苦しい」
この感覚をどう説明すればいいのか、
しばらくは自分でも分かりませんでした。
でも、あるとき気づいたのは、
正解と納得は、まったく別のものだということです。
正解は、外側にあります。
誰かが決めた基準や、
一般的に「良い」とされている答え。
一方で、納得は内側にあります。
自分で考えて、
迷って、
それでも「これを選ぶ」と腹をくくる感覚。
正解を選んでいるつもりでも、
納得できていなければ、
心は置き去りになります。
私は、その状態でずっと前に進もうとしていたのだと思います。
納得して選んだ選択は、揺らぎにくい
納得して選んだ選択は、
必ずしも楽な道ではありません。
時間がかかることもあるし、
結果がすぐに出ないこともあります。
それでも、不思議と折れにくい。
なぜなら、
「自分で選んだ」という実感があるからです。
うまくいかなかったとしても、
誰かのせいにはできません。
でも同時に、
誰かの正解に縛られることもありません。
結果よりも、
選び方に納得できているかどうか。
この違いは、
長く続けるほど大きくなっていきます。
真面目な人ほど、納得解が必要だった
ここで、
あらためて「真面目な人」という存在を考えてみます。
真面目な人は、
もともと考える力を持っています。
だからこそ、
納得できない選択をし続けると、
強く消耗します。
「正しいと言われているから」
「みんなが選んでいるから」
そんな理由だけで動くほど、
自分の中の違和感が積み重なっていく。
だから私は思うのです。
真面目な人に必要なのは、
もっと頑張ることでも、
もっと要領よくなることでもない。
自分で選び、その選択に納得できる状態。
それこそが、
真面目な人が前に進むための土台なのだと。
私はこの考え方を、
「納得解」と呼ぶようになりました。
なぜ私は「納得解」を仕事の軸にしたのか
正解を教える仕事に、限界を感じた
これまで多くの場面で、
「正解」を示すことが求められてきました。
こうすればうまくいく。
これを選べば失敗しにくい。
このやり方が王道だ。
確かに、それで楽になる人もいます。
一時的に安心できる人もいるでしょう。
でも同時に、
正解を渡せば渡すほど、
自分で選ぶ力が弱くなっていく場面も見てきました。
うまくいったときは、正解のおかげ。
うまくいかなかったときは、自分のせい。
そんな構造が、静かに人を追い込んでいく。
私はそのやり方に、
どうしても納得できませんでした。
真面目な人が、自分で選べなくなる怖さ
特に真面目な人ほど、
「正解」を大切にします。
間違えたくない。
人に迷惑をかけたくない。
ちゃんとした選択をしたい。
だからこそ、
他人が示した正解を
自分の判断より優先してしまう。
気づかないうちに、
「自分はどうしたいか」を考える前に、
「何が正しいか」を探す癖がついていきます。
それは、とても危うい状態だと思っています。
考える力がある人ほど、
考えない選択を続けてしまうからです。
私が引き受けたいのは、「選択の手前」
私が大切にしている前提があります。
それは、
「自分の人生は、自分で決められる」ということです。
これは精神論ではありません。
誰かに決めてもらった選択では、
その結果を引き受けることができない、
という現実的な話です。
どれだけ正しいと言われた選択でも、
その先で悩み、迷い、立ち止まるのは自分自身です。
だからこそ、
選択の責任を引き受けられる状態であることが大切だと考えています。
だから私は、
正解を渡す仕事を選びませんでした。
代わりに引き受けたいと思ったのは、
選択の手前にある時間です。
- 何に違和感を覚えているのか
- どこで立ち止まっているのか
- 何を大事にしたいのか
そこを一緒に整理すること。
決断そのものを代わりに下すことではありません。
選ぶのは本人。
その責任も、本人のもの。
ただし、
考えるプロセスには全力で伴走する。
それが、私が仕事として引き受けたい役割です。
「報われる」とは、納得して前に進めること
私にとって「報われる」とは、
単に結果が出ることではありません。
もちろん、
成果や売上が出ることは大切です。
現実から目をそらすつもりはありません。
でもそれ以上に、
自分で選び、
その選択に責任を持って、
前に進めているかどうか。
たとえ時間がかかっても、
納得して選んだ道なら、
人は立ち上がれます。
真面目な人が、
自分の真面目さを否定せず、
納得して前に進める。
その状態をつくることが、
私が「納得解」を仕事の軸にした理由です。
このブログで大切にしていること
真面目な人を、焦らせない
このブログでは、
不安を煽るような言い方はしないと決めています。
「今すぐ動かないと手遅れになる」
「このままだと一生変われない」
そうした言葉は、
真面目な人ほど深く受け取ってしまいます。
そして必要以上に、自分を追い込んでしまう。
私は、
真面目な人をさらに焦らせることで
前に進ませたいとは思っていません。
立ち止まっている時間にも、意味がある。
考えている時間は、無駄ではない。
そう信じて、この場所をつくっています。
選択の責任を、本人に返す
このブログでは、
「これをやれば正解」という形で
答えを提示することはほとんどありません。
それは意地悪をしたいからでも、
責任を取りたくないからでもありません。
人生や仕事の選択は、
誰かに代わりに決めてもらった瞬間、
自分のものではなくなってしまうからです。
だから私は、
選択の責任は本人に返します。
ただし、
放り出すこともしません。
考える材料を整理し、
視点を増やし、
納得できるところまで一緒に考える。
それが、
このブログで大切にしている姿勢です。
真面目さが、ちゃんと活きる設計を考える
真面目さは、
我慢や自己犠牲のためのものではありません。
本来は、
- 考える力
- 継続する力
- 信頼を積み上げる力
として使われるべきものです。
このブログでは、
真面目さを「どう使えばいいか」を考えます。
ビジネスの話も、
情報発信の話も、
生き方の話も、
すべて同じ前提で書いています。
真面目な人が、
自分をすり減らさずに前に進むための設計。
そのヒントを、
ここでは少しずつ言語化していきます。
真面目さんへ
あなたが報われていないのは、間違っているからではない
もし今、
「自分は何か足りないのではないか」
「向いていないのではないか」
そんなふうに感じているとしたら、
まず伝えたいことがあります。
あなたが苦しくなっている理由は、
能力が足りないからでも、
努力が足りないからでもありません。
ただ、
真面目さが活きない土俵に立たされてきただけです。
それを自分の欠点だと思い込み、
真面目さそのものを疑ってしまう必要はありません。
納得して選ぶことは、わがままではない
納得して選ぶ、というと、
自分勝手な行為のように感じる人もいるかもしれません。
でも私は、
それはむしろ責任を引き受ける姿勢だと思っています。
誰かの正解に従う方が、
一見すると楽に見えます。
けれど、その選択の結果を生きるのは、
他でもない自分自身です。
だからこそ、
時間をかけて考え、
納得した上で選ぶことには、
大きな意味があります。
それは逃げではなく、
前に進むための準備です。
ここは「納得解」を一緒に考える場所です
このブログは、
答えを与える場所ではありません。
でも、
一人で抱え込む場所でもありません。
真面目に考えてきた人が、
これからの選択を
納得して引き受けられるように、
考えるための材料と視点を置いています。
もし今、
立ち止まっている感覚があるなら、
それは前に進めていない証拠ではありません。
考える準備が整いつつある証拠です。
焦らなくていい。
無理に変わらなくていい。
真面目さんこそ、
ちゃんと報われるべきだと、
私は本気でそう思っています。
ここまで読んで、
「考え方には共感できるけれど、
この人は実際にはどう関わるのだろう?」
と感じた人もいるかもしれません。
正解を渡さないと言って、
どこまで一緒に考えるのか。
どこから先は、本人に委ねるのか。
その境界線については、
別の記事で整理しています。

もし、
「この人なら安心して考えを預けられるか」を
もう少し確かめたい場合は、
こちらを読んでみてください。
納得して進むためには、
一人で抱え続けないという判断もあります。
その考え方について、
一人で考え続けなくていい、という選択
で整理して書いています。

